掴み取れ、関取の座! 木竜皇

 今場所西幕下2枚目・木竜皇 博一(きりゅうこう ひろかず・立浪)

父は元幕内・時津海。先代(16代)時津風である。
弟は同じ立浪部屋所属の春雷(西三段目37枚目)

先場所、西26枚目で幕下優勝を果たした木竜皇が関取へリーチとも言えるこの番付(西幕下2枚目)まで登り詰めてきた。これまでのヒストリーを振り返る。

2002年10月31日、東京都墨田区生まれ。
両国小学校1年から相撲を始め、2年と4年時に白鵬杯で優勝、5年時にわんぱく相撲全国大会2位の実績を残した。
中学(千葉県柏市立柏第二中)3年時にも全国大会で団体優勝を経験。
高校は相撲の名門・青森県立三本木農業高校へと進み、相撲部主将を務める。

~時津風部屋入門予定が~

高校卒業後は父が師匠の時津風部屋に入門する予定が、皮肉にも父の時津海こと当時の時津風親方の不祥事が原因で木竜皇が高校を卒業する直前に父・時津風が相撲協会を退職。
この事態を受けて時津風部屋に入門するか再考した結果、立浪部屋に入門先を変更した。
2021年5月場所で初土俵を3歳年下の弟・正真(四股名:春雷)とともに立浪部屋に入門。兄弟で入門同期ということになる。

        弟・春雷

出世は早かった。
幕下中位まで7場所連続勝ち越し、そのあと2回負け越しを記録するも、先場所の幕下優勝で再び躍進。関取昇進へ向けて大勝負となる場所となった。

木竜皇 博一 入門時にはその時の流れで運命に弄ばれたが、立浪部屋で関取到達まであと一歩というところまで上がってきた。
先場所幕下優勝時の人柄の良さが伝わってきたインタビューは目と耳に焼き付いて離れない。

明日(初日)に十両経験者・栃武蔵(春日野)との一番が組まれている。
サバイバルの始まりだ。

一気に決めようぜ、木竜皇!!



ダークホースと言わせない

 錦木と明生。

この両雄、今場所の番付が

錦木・・・東前頭筆頭
明生・・・西前頭三枚目 である。

錦木は今年に入り幕内上位に定着。
先場所は8日目から怒涛の8連勝を記録した。
対戦者も8日目から順に(若元春・貴景勝・御嶽海・北勝富士・琴ノ若・正代・阿炎・阿武咲)と実力派・大物を立て続けに連破。9勝6敗とし、自己最高位の東筆頭に躍り出た。

明生は元々2021年7月場所から4場所連続三役を務めた実力者。
その後、腰痛やコロナ感染、今年に入ってからは2場所連続5勝10敗と番付を落としたが、迎えた夏場所は、初日から7連勝と破竹の勢いに乗る。中日に初黒星を喫したが、9日目に横綱・照ノ富士を破る初金星を上げた。最後は尻すぼみになるも、8勝7敗で初の殊勲賞に輝く。

今場所の幕内、話題の焦点は、3関脇の行方(大関獲り)につながる成績を上げられるか、(新大関)霧島や朝乃山の活躍、金峰山や北青鵬、新入幕の豪ノ山と伯桜鵬といった新世代組の台頭なるかが大半を占めるか。

いや、中卒で角界入り。荒波に揉まれることを決意して入門したこの2人が、話題の新鋭たちに容易に世間の追い風と肩書きを明け渡すことなく、逆に壁となって相撲道を教え、障壁となり立ちはだかってほしい。見せつけてやれ、地力と底力を!


新大関の部屋で、異彩を放つ3力士

新大関霧島(旧四股名・霧馬山)誕生に湧き、意気上がる陸奥部屋。

またその裏側には、幕下以下(正確に言うと三段目以下)に昭和生まれの3力士が所属していて、来たる名古屋場所に備えている。

西三段目56枚目 鋼(はがね)     昭和56年8月29日生(41歳)
東序二段92枚目 霧桜(きりざくら)  昭和58年5月26日生(40歳)
西序ノ口筆頭   霧丸(きりまる)   昭和60年4月5日生 (38歳)

鋼は2000年3月場所に井筒部屋から初土俵。
愛知県刈谷市出身のご当所力士。
一時期、井筒部屋の代々に伝わる四股名「鶴嶺山(かくれいざん)」を名乗っていた時期がある。期待が大きかったのだろう。
最高位は東幕下16枚目。幕下を離れて7年が経つ。

霧桜は1999年3月場所に初土俵。
鋼よりも力士歴は1年多く上である。最高位・西三段目69枚目。
鹿児島県霧島市出身。
陸奥部屋の力士になることは運命だったのか。
序二段在位114場所目。
100㎏満たない体重で(現在95㎏)奮闘を続ける40歳だ。

最後に霧丸は、2001年3月場所初土俵。
愛知県名古屋市名東区出身のこちらもご当所力士。
中卒での角界入り、たたき上げ。東序二段20枚目の最高位。
今年序ノ口2場所目。身長171cm・体重152㎏
今年の力士名鑑には、ちゃんこ長。ファン感謝祭のちゃんこぐらんぷりで優勝とあった。

以上が、陸奥・昭和世代3力士の現在地である。
支えているのは相撲愛か。
40歳前後で現状のこの番付、「関取」「給料」の2つの言葉を見据えるのは厳しく難しいか。

新大関誕生に話題が集まる中、この3力士も奥深い存在感を放っている。


前頭2枚目が睨みを利かす

 今場所(7月)の番付は、前頭2枚目にに東・正代、西・御嶽海と奇しくも元大関が顔を揃えた。

大関陥落後、御嶽海(30歳)5場所目、正代4場所目(31歳)を数えるが、まだまだ老け込む年齢ではない。

新番付の上を見れば、4場所連続休場明けの先場所8度目の優勝を果たし横綱の面目を守った照ノ富士や、新大関・霧馬山改め霧島、関脇は大関獲りがかかる3人(豊昇龍・大栄翔・若元春)小結も今年に入ってから三役(小結)としての実力を証明してきた琴ノ若、復調してきた阿炎。

印象だけで語るに、この両雄は名古屋場所の三役陣とも(実力面で)引けを取らないはずだ。

前頭3枚目以下でも(主だったところで)再浮上してきた元大関・朝乃山、上位に定着してきた感のある翠富士、実力者(東西7枚目の)髙安や玉鷲にだって遜色ない・張り合える・いやそれ以上だ(期待値込み)

新番付を見渡してみて、この2人が名古屋場所をかき回す・動かす存在のように思えてならない自分がいる。


琴富士の栄光と没落

琴富士孝也。

幕内優勝を飾るなど、1990年前後に長らく関取として活躍。
力士時代に得た名誉と栄誉、引退後に味わった苦労と辛酸。
病に冒される現在を掻い摘んでお伝えする。

琴富士は幕内優勝経験者だ。1991年7月場所のこと。
状況としては、前場所に千代の富士が引退、さらにこの名古屋場所途中に横綱・大乃国が引退するなど混迷の中、琴富士は初日から13連勝し、横綱・旭富士に加え、小錦・霧島の両大関も撃破。13日目に見事平幕優勝を果たした。

https://youtu.be/WHJ5OpJHE7Y?t=87

翌場所、小結へと番付を一気に上げるも4勝11敗と大きく負け越し、琴富士にとってこれが最後の三役で過ごした場所となる。
その後は一進一退を続け、1994年11月場所には十両へ陥落、1995年9月場所中、幕下陥落が濃厚となったため現役を引退した。

引退後は年寄・粂川を襲名。佐渡ヶ嶽の部屋付き親方として後進の指導に当たっていたが、琴稲妻の引退に伴い、年寄・粂川を返上。1999年7月場所限りで相撲協会を退職。

退職後はタレントへ転向。元大関の小錦が経営する株式会社KPに所属し、現役時代からフジテレビの部屋別対抗歌合戦などで披露するユーモラスなキャラクターを活かして活動した。

タレントとしての仕事が減り始めたころ、当時の大嶽(貴闘力)から電話で「うちの部屋に来ませんか」と誘われ、部屋を提供されてともに暮らしたという。しかし、2010年にその後、琴富士が定職につけずにいるところ、再び貴闘力から連絡があったという。貴闘力が経営する焼肉店の中国進出にあたり、上海に渡った。しかし中国人スタッフから「貴闘力氏は店を辞めた」と告げられ、それから言葉が不慣れな環境で1年働いていたが自らも辞めて帰国している。次第に琴富士の生活は荒れ始め、離婚もしたという。

~転げ落ちる転落人生、逮捕・病気~

2014年2月、偽装結婚の疑いで逮捕。
同年5月、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年(求刑懲役1年6ヶ月)の判決を東京地方裁判所から言い渡された。

釈放後、国内を転々とし、工事現場や飲食店などで働いて食いつないだ。
神戸市内での家賃5万円で6畳のアパート生活が公開され、冷蔵庫も無く、1日に50円のインスタントラーメン2袋という極貧生活を送っていたという。

2021年2月、YouTube琴富士チャンネルで入院することを公表。
1月に検査入院をした結果、虚血性心疾患と慢性腎臓病の診断を受けた。

こんなこともあったそうだ。
一過性脳虚血発作で救急搬送。8時間にも及ぶ大手術を受けるは成功したが、麻酔が覚めないため検査したところ、脳梗塞が発覚。そのため、頭蓋骨の一部を取り外し「減圧開頭術」という手術を受けて奇跡的に助かったという。

現在は寝たきりの状態で、右半身麻痺が残っているそうだ。意識はあり、顔の表情や左手の動作で意思表示を伝えるのだという。

(失礼ながら)随分と浮き沈み・山谷の多い人生を(特に)相撲協会退職後は送っていたようである。

どう言葉をつないだらいいのかわからない。
可能な限り、健康と平凡な毎日が取り戻せますように。


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