ハワイ勢にも臆さなかった寺尾

 ハワイ出身の名力士達にも寺尾は怯まなかった。
見よ、その勇姿を。

VS 武蔵丸 (1999年11月場所9日目・寺尾36歳最後の金星)
立ち合い、右のど輪で挑みかかるも武蔵丸の圧に封じられかけたが、寺尾がうまく右上手で振るような感じで武蔵丸の背後に回り、見事に寄り切ってみせた。
取組直後の館内に舞う座布団の数が半端でない。

4年ぶり7個目の金星獲得劇。
両者の対戦成績、武蔵丸の14勝3敗。

VS 小錦 (1989年7月場所9日目) 
寺尾の回転のいい突き押し、のど輪で跳ね上げておいて引き落としをズバリと決めてみせた。

花のサンパチ組として出世を競い合ってきた間柄。
小錦は自身のツイッターで「大相撲界の偉人の訃報を聞いて本当に悲しくて言葉を失いました 寺尾関さん、安らかに眠ってください」とコメントを寄せている。
両者の対戦成績、小錦の26勝10敗。

VS 曙 (平成4年3月場所2日目)
低くいこうとする寺尾に曙の突っ張りが容赦なく襲いかかる。
辛抱する寺尾。うまく左にたぐるように引き落とし。

前場所、小結で13勝を上げその余勢を駆って大関獲りに挑んだ曙だったが、この黒星をきっかけに結果8勝7敗で終わった場所。次場所で初優勝を遂げ、その次の7月場所に大関昇進を遂げた。
両者の対戦成績、曙の14勝3敗。

この頃の土俵を席巻していたハワイアンにも勇敢に立ち向かってみせた鉄人に惜しみない賛辞を送りたい。

愛弟子・阿炎が巡業に復帰(参加)した。
悲しみが癒えた訳ではないが、新たに前へと進んでいく。
自分に言い聞かせながら。

寺尾常史 が亡くなって一週間が経つ。
ネット上には未だにエピソードや書き込みを多く見かける。
寺尾がまだそばにいるかのようだ。

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友綱偉人伝・魁聖一郎

 ブラジル出身の元関脇・魁聖一郎こと本名リカルド・スガノさんが面白い。
九州場所10日目にNHK向正面の解説に迎えられ(幕内)

そこでのやり取りが最高に面白かった。
抜粋
大田アナ「ブラジルでは誰が人気なんですか」魁聖「ん~自分辞めてからもう観てないんじゃないですかね」大田アナ&舞の海「www」魁聖「ブラジル人はいかつい人がすきだから湘南乃海とかじゃないですかね、今度聞いてきますね」

四股名は友綱部屋伝統の「魁」と、キリストを意味する「聖」を組み合わせて「魁聖」となり、下の名前の「一郎」は祖父の名前から付けた。

場所別成績を振り返ってみると、全盛期・ピークは2016年・2018年あたりか。

主な力士の対戦成績(当時の横綱大関)
元大関の2人 正代に9勝1敗・御嶽海に7勝1敗だが、大関在位中に対戦はしていない。
また当時に横綱を張っていた
白鵬に13戦全敗。
日馬富士に16戦全敗。
鶴竜に15戦全敗。
稀勢の里に12戦全敗。 とはっきりとわかりやすい成績をあげている。

右四つ左上手の四つ相撲を得意とする一方で、動き(相撲)の遅さと、真っ正直な相撲、小兵を苦手にしていたなど、課題・欠点は明らかになっていた力士でしたかね。

と、そうは言っても関脇1場所・小結3場所・前頭56場所の合わせて60場所を幕内で活躍してきた実力派。

その現役時代は、幕内を10年間君臨しながらも、存在感やキャラクターは(失礼だが)やや薄いものに見えた。

今年5月に大島部屋から浅香山部屋に移籍。
元大関・魁皇とタッグを組み、強い力士・関取を育ててほしいものだ。

国技館で優しい笑顔の友綱親方にまたお会いしたい。

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阿炎よ、今は悲しみに暮れて立ち上がれ

 元・寺尾の錣山親方がこの世を去って2日が過ぎた。
ネットニュース・SNSではこの死去・人柄を偲ばれるような記事・書き込みが散見される。
亡くなった17日夜には、愛弟子の阿炎が(東京・江東区に安置された)錣山部屋で師匠の隣に布団を敷き、故人が好きだったハイボールを1杯飲んでから眠ったという。

(有名な話だが)四股名の阿炎に込められた意味・由来は・・・、

2013年5月に本名の「堀切 洸助」デビューした。
約2年後の2015年3月場所の新十両を機に現在の「阿炎 政虎」へ。
意味・由来は2つあり、1つ目は「阿修羅のように燃える心」
もうひとつが響きに込められた意味として、
「あび」「アビー」「a baby」とは、寺尾さんの子供時代の呼び名だったそうです。

涙にくれる阿炎。
かつて、やんちゃをしては親方を困らせた。

新型コロナウイルス対応ガイドライン違反
2020年7月場所、相撲協会の新型コロナウイルス対応ガイドラインには「基本的に外出禁止とし、不要不急の外出をしない」「外出する際にはマスクを着用し、『いつ、だれと、どこに』を明確にし、師匠に報告する」との項目があったにも関わらず、接待を伴う店に行った。行先はスナックなのかラウンジなのかキャバクラなのか分からないが「夜の店」とされた。場所前と場所中の2回で行ったとされ、2場所出場停止処分となったなど、ここに至るまでに他にも問題(不祥事)が表面化されることもあったが、その都度、寺尾(錣山)は厳しくも寛大な姿勢で阿炎を見守り続けた。

結果、西幕下56枚目まで番付を落としたが2場所連続幕下優勝で関取復帰、その後も番付を関脇まで上げ、完全復帰を果たしている。

阿炎は最愛の師匠の死を転機と捉え、力士として更に進化することができるか。

これからもファンとして応援し続け、注視していきたい。

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元・寺尾、錣山親方死去

 いやぁ、びっくりしました。
「こんな事、あっていいのか」って感じです。

元関脇・寺尾の錣山親方が17日、東京都内の病院で死去されました(以前から不整脈など心臓に持病があった)
享年60歳。体調不良だということは知っていましたが、訃報がこのように駆け巡るとは思いませんでした。

「福園3兄弟」としてその名を博したが、
長男 鶴嶺山 2020年3月に60歳没、急性心不全
次男 逆鉾  2019年9月に58歳没、膵臓がん

と、福園兄弟は早逝しています。

私自身の思い出・印象を振り返る。
寺尾の現役時代としては、人柄・人間性をそのまま表すかのような回転のいい突っ張り、気っ風の良さ・軽量、筋肉質でイケメン。鉄人。

親方としては(いつだって)相撲愛あふれる解説、阿炎不祥事の時の対応(阿炎が謹慎に入るタイミングで、TV解説の日に)謹慎の事情説明とお詫びを話した器の大きさや人としての公正さなど。

今年9月・秋場所を観戦した私はチケットもぎを(顔ぶれから選んで)錣山親方にお願いした。その時の印象として(元々、痩身だが)また痩せられたかなという感じはありましたね。
(また少し)頬がこけたかなというか。

2004年に錣山部屋を開設。育てた関取として、
関脇・阿炎
小結・豊真将
幕内・青狼
十両・彩、王輝 らを育てられました。

また思い出の取組としては、この2番ですかね。

敗戦直後に、下がりを思い切り叩きつけたシーンが今でも目に焼き付いてます↓↓↓

寺尾常史さんの素晴らしい人となり(相撲取りとしての)感動・ドラマを忘れません。

ご冥福をお祈りいたします。

お悔やみ申し上げます。

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足取りの妙

前々回の当ブログで、照強の「足取り」について少し触れたが、今日はここに焦点を当てる。

足取り・・・相手の懐に潜り込み、相手の片足を両腕で抱え、体重をかけて仰向けに倒す技。 

とあった。

この取組は、おととしの5月場所初日 序二段 大翔-千代太陽 の一番である。
最初から狙っていた感はあるが、自分よりも大きな力士を鮮やかに倒した相撲。
※現在の千代太陽は97㎏。三段目で活躍中。
※大翔は現在138㎏。序二段に在位している。

~炎鵬の足取り~

炎鵬も華麗な足取りを見せている。
この相撲もおととしの3月場所の初日、対 千代ノ皇戦。
思い切りいなして距離を作り、下にもぐって足取りを決めてみせた。

過去にこの「足取り」で15勝を稼いでいる。
「令和の牛若丸」も今年の夏場所中に脊髄損傷の大ケガ。自力で立てない寝たきり状態にまでなったそうだが、徐々に回復。実戦稽古を再開し、序二段力士を相手に13連勝したそうだ。初場所の出場に関しては、まだ未定で慎重な姿勢を崩さない。完全復活は、いつの日か。

決まり手・足取りとは、小兵が大柄力士に対してとか、平幕力士が(圧倒的不利と言われる)横綱大関に対して決まると映える技である。