横綱昇進へ向け、止まらない追い風

 大の里、地元凱旋。

故郷・石川県河北郡津幡町で55年ぶりの巡業が行われ、チケットは完売、2500人が駆けつけ大いに盛り上がったという。

3月春場所。
石川県の相撲ファンや熱心な勧進元の念が届いたのか、地元巡業の直前、本場所できっちりと幕内優勝を仕留めるあたり、やはり只者ではない。

この日の朝稽古では大栄翔、錦木、明生らを相手に7勝1敗。
結びの一番(取組)では、横綱・豊昇龍を寄り切ったそうだ。
その豊昇龍戦で締めていた緑のまわしは、後援会から贈られたもの。
緑色は津幡町の町章に使われていて、地元の総意が込められてると受け止めたらいいのか(実際の町章)↓↓↓

次場所で綱とりがかかる訳だが、早くも地元後援会では”横綱昇進“を想定して土俵入りの三つ揃い化粧廻しの制作への準備・値踏みを始めるなど、75人目の横綱へ、あの輪島以来44年ぶりの地元・石川県出身横綱誕生へ向けて、その機運の高まりたるやとどまるところを知らない。

輪島の象徴と言えば、その廻しの色になぞらえた「黄金の左」

(その輪島引退後)44年が経ち、大の里は「緑」をシンボルカラーとするのか。


石崎涼馬、幕下卒業見送り・・・。

 石崎涼馬の十両入りはほんの僅かなところで取り逃した。

幕下筆頭で3勝4敗だからその夢なんて叶うはずもないのだが、14日目の7番相撲(風賢央戦)で、8割は掴みかけていたであろう新十両入りを逆転の突き落としを食らってしまい、惜敗。関取昇進持ち越しとなった。

まぁ、要するに相撲に勝って勝負に負けた、と。
流れと出足は良かったが(最後のひと押しのところで)若干、足が揃い気味で上体が伸びてしまい、正確に圧力をかけらなかった。風賢央は俵伝いではあったが、少しの余裕と余力があったか。

その風賢央戦↓↓↓

たらればの話をする。
この一番をものにしていれば石崎自身が新十両だったと思うし、貴闘力四男の昇進はなかったかもしれない。逆に言えば風賢央が負けていれば(この時点で)負け越しで状況次第では・・・、なんてこともあったのでしょうか。
勝敗が決する以前に、そういう(入れ替え戦的)意味合い込み・含まれての割だったかもしれませんが。

残念ながらプロ入り後、初の負け越しを喫してしまった朝紅龍弟。
この見えない高くてぶ厚い壁を乗り越えられるか。
乗り越えられずに角界を去っていった者も多くいるし、もちろん乗り越えて栄光を掴み取った者も多数存在する。

力士として身体的に恵まれてるとはとても言い難いが、プロ入り前に教員にまでなった英知で関取昇進の夢を果たせるか。
目安として2~3場所以内で吉報を待ちたい。

石崎兄弟が近い将来幕内上位を席巻してほしいところだが。

「崎」の字の一文字前は「岩」でなく「石」です。
念のため。

昭和と共に散った名力士・飛騨乃花

 10代目の年寄・二子山は、第45代横綱(初代)若乃花である。

1962年(昭和37年)の現役引退と同時に独立し、二子山部屋を興す。

横綱2名・2代目若乃花、隆の里
大関2名・初代貴ノ花、若嶋津 を始めとして育てた関取19名。
「猛稽古」という言葉に偽りなく、厳しい指導のもと、強豪関取が次々に育っている。

その中の一人に「飛騨乃花」という力士がいた。
四股名に書いてある通り、飛騨=岐阜県高山市出身。

この頃私も近隣に住んでいたので、よく朝稽古を見に行ったものだが、その稽古土俵を囲んだ顔ぶれが凄かった。上記4名に加え、この飛騨乃花・大寿山・若獅子・隆三杉・三杉里辺りがすらっと出てくる名前か。

下積み生活が長く、関取にたどり着くまで10年。
「稽古場横綱」と称されるほど、右四つになればその名をほしいままにしていたそうだが、本場所では幕内上位の壁を破れず、三役に上がることなく現役を終えている。
唯一の金星を北の湖から挙げている(1981年11月)初顔での快挙。
1989年1月場所限り引退。
最高位は前頭筆頭。
偶然にも「昭和」の終了と同じタイミングで土俵生活に別れを告げている。

引退後、年寄を襲名し角界に残っていたが、数年後に廃業。
相撲茶屋の経営に乗り出していたらしい。


朝青龍、2005年無敵伝説

ふた昔前、
2005年(平成17年)のドルジこと朝青龍、強すぎ。

この年の優勝賜杯は
・全場所この男のもの(6連覇・年またぎで前年11月場所より7連覇)
・年間成績 84勝6敗
・連勝を2回記録 
27連勝 2005年1月場所初日~2005年3月場所12日目
24連勝 2005年3月場所14日目~2005年7月場所7日目
・ひとり横綱まっしぐら時代(2004年1月場所 – 2007年5月場所)の中に組み込まれる。
・年間6敗、負けた相手
栃東、琴欧州2回、黒海、普天王、安美錦 
・次代(69代)横綱 白鵬との2005年は朝青龍の5戦5勝 
・大関には魁皇と栃東が君臨していたが、魁皇戦に至っては朝青龍の3戦3勝

など、手がつけられなかった。

取り口は左四つをベースに何でもござれといったところか。
独自の嗅覚で「いける」とセンサーが察知したら、百発百中とは言い過ぎかもだが、かなりの確率で獲物を仕留めていた印象。

引退時(2010年初場所後)29歳。
自分を律して少しでも抑制できれば、もっと違う相撲人生(横綱から現役引退、その先の親方(年寄)人生)を歩めたことだろう。

こんな2人の熱戦をもっともっと見たかったです。
この2008年初場所千秋楽の相星決戦は忘れられない。

対戦成績も拮抗していて、13勝12敗で白鵬ひとつリード。
決定戦を含めると15勝14敗でこの場合は朝青龍に分があったようですが・・・。

丹治兄弟の兄・大賀、土俵を去る

 荒汐次世代を担う一角が引退。

あの大波3兄弟を継承するのは、この丹治兄弟であってほしいと願ってましたが、兄・大賀の三月場所限りでの引退が正式に発表されている。

私は深く詳しい事情を存じ上げないのですが、大きなケガをしたわけではなさそうですし、年齢的にもまだいけそうな気がしてましたが。
逆に言えば(しがみつかずに)スパッとという受け止め方でいいのでしょうか。

母親がロシア出身。その血もあってか(弟・丹治も含めて)稀にみるイケメン。

丸3年前、初の幕下で迎えた場所から、本名の下の名前「大賀」を四股名にして奮戦していたが大成ならず。

なので荒汐部屋は、現状の関取3名(若隆景・若元春・大青山)の後塵を拝するのは(番付順に)荒篤山・(春場所大きく負け越しましたが)若隆元・丹治といったあたりか。

既に新しい世界へ旅立っているとのこと。
成功を祈る。

大賀孝治
通算:133勝121敗33休
最高位:東幕下32枚目