やっぱりこの男か、な。大の里 2024夏場所7日目

 まぁ、何たるざまか。
本日(7日目)より三役からさらに2名(霧島と若元春)休場者が加わり、三役の出場者は2大関・関脇小結共に1人ずつとなった。正規の頭数からすると興行として目も当てられないとまで言っていいのか。

先走ることを言うようだが、昨日まで全勝だった宇良が今日、大関・琴櫻に土。
全勝がいなくなった今日、1敗グループが5人となった。
その中の番付最上位にいるのは、西小結・大の里。
場所前に不祥事で世間を賑わせ、このことに対する禊・信頼回復の意味合いもあると思うが、懸命な土俵が続いている。

大の里の今場所ここまでを振り返ってみると、(万全ではない)横綱・照ノ富士に勝ちいいスタートを切ったかと思えば、翌日髙安戦で自ら引いて墓穴を掘ったり、課題とされている脇の甘さを露呈しつつも強引にねじ伏せた若元春戦、右差し右一本で2大関(霧島・琴櫻)を撃破したかと思えば、本日の熱海富士戦では攻め込まれたものの(若干の)余裕があったかもしれないが、最後は下手出し投げに仕留めてみせた。(相撲内容としては)山あり谷あり、一長一短が見て取れる。

今場所の三役でまだ対戦していない顔ぶれとしては、豊昇龍と阿炎。

腰高、脇の甘さ。彼に指摘されてる難点も見えなくもないが、この混戦の中で残り8日間をどう戦い抜くか。力士の象徴、髷を結っての本場所登場。明日の中日、8日目は実力者・大栄翔との割りが組まれている。現時点での潰し合いと言えるし、今後の指針となる一番かもしれない。気が早いですがどうなりますかね。

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手計兄弟、同時関取誕生にリーチ!!

 琴手計 大希(ことてばかり たいき)
最新の成績・実績は9月場所、東幕下9枚目で4勝3敗。自己最高位での記録だった。
来場所はどれくらい・どのくらい番付を上げてくるかな。
念願の十両(関取)昇進はすぐそこまで来ている。

「琴手計」の手計は本名。聞いたことあると思ったら、兄弟力士。
兄はあの琴勝峰である。5月場所のケガが影響しているのか、幕内維持は難しいか。
因みに、この琴勝峰も初土俵から十両に上がるまでの約2年間「琴手計」を名乗っていた。

弟の経歴を振り返る。

兄とほとんど似たような略歴。
5歳で相撲を始め、中学、埼玉栄高校でその光る原石に磨きをかけてきた。
2022年1月場所に初土俵。序ノ口・序二段優勝を経て、2年と経たずにここまで来ている。出世街道を驀進中だ(負け越しは1場所だけ)

1日も早い手計兄弟現役関取誕生を見届けたい!

左から、琴勝峰(兄)と琴手計(弟)↓↓↓

琴手計に続く、佐渡ヶ嶽の幕下有望どころは
琴太豪(ことだいごう)
琴拳龍(ことけんりゅう)辺りが続くか。

左から、琴太豪・琴拳龍の順。琴太豪はケガで何度も番付を下げながらも、這い上がってきた苦労人です。最高位は東幕下筆頭まで上がった過去がある!

今年6月に「手計家の人々」と題して、この兄弟と家族構成、ご両親が経営されてる千葉県柏市の「達麿(だるま)」という居酒屋を紹介させていただきました↓↓↓

手計家の原点「柏」魂↓↓↓

史上最強の関脇・長谷川

 「史上最強の関脇」と称された長谷川(佐渡ヶ嶽)は1944年(昭和19年)7月20日生まれ、北海道空知郡栗沢村出身(出生地は樺太らしい)

1960年(昭和35年)3月場所に初土俵。
恵まれた体格で入門当初から期待・注目を集めていた。

新入幕は5年後の1965年(昭和40年)1月場所。連続勝ち越しでその年の9月場所で初金星(栃ノ海から)以降「上位キラー」としてその名をとどろかせる(金星なんと9個)
小結や幕内5枚目以内には頻繁に名を連ねるも「関脇」に登り詰めるまでは、少し時間を要した(新入幕から丸4年後・幕内25場所目)

左四つからの素早い攻め、時には足技を絡めて、幕内優勝1回挙げている(1972年3月場所)
北の富士との睨み合いや、大関獲りを競い合った貴ノ花・魁傑・輪島・三重ノ海らとの対戦が収録された動画がこちら。

番付運に恵まれず、関脇21場所在位したが(当時最多・現在2位)大関昇進はならなかった。

引退は1976年5月場所途中、当時の番付は東前頭8枚目。

当時師匠の11代佐渡ヶ嶽(元小結・初代琴錦)から次期佐渡ヶ嶽の後継者に指名されていたが、その11代佐渡ヶ嶽が急逝(1974年7月)その場所の長谷川は技能賞を獲得するなど、まだ余力を残している時期だった為、11代急逝直前に引退した琴櫻が継承し、長谷川は「年寄・秀ノ山」となり、部屋付き親方として後進の指導にあたった。

2009年7月場所限りで停年退職。

上述4名との対戦成績(長谷川から見て)
貴ノ花  8勝20敗
魁傑   8勝15敗
輪島   5勝18敗
三重ノ海 9勝14敗 となっていた。

素朴な疑問
①現役時代の四股名を本名の「長谷川」で全うしたのは何か理由があるのか。
どうして「琴」をつけなかったのか。
②両国駅改札付近に確かこの「長谷川」の優勝額が飾っていたはずだが、いつの間にか変わっていた。誰のものと変わったのかな?

Wikipedia・エピソードから
・ゆで卵を一気に20個、水も飲まずに平らげたことがあるという(これは本当か!?)

現役時代の長谷川のトレカをみーっけ↓↓↓

がぶり寄りを回顧した

 がぶり寄り・・・相手の廻しを自分の方へ引き付けて腰を上下に揺り動かしながら寄り進むことである。寄り進むうちに相手の腰が浮き自身の腰が相手より低くなる形が理想型とされる。

このがぶり寄りで、力士として大関まで駆け上がり成功を収めたのは琴風琴奨菊

琴風豪規
いろいろ調べていると琴風は元々下半身が硬く、また後に膝の怪我に(あれだけ)悩まされ、いかに膝への負荷・負担を少なくさせることなどを合理的に考え習得した技らしい。

1981年3月場所2日目 対横綱 輪島戦

この相撲なんかは、琴風の良さがよく出て且つがぶりを修得した理由・経緯などが集約された理詰めの相撲ではないかと思う。

またこの相撲は大横綱・輪島の現役最後の一番になり、“歴史”の重なった対決でもあった。
琴風はこの3場所後に初優勝を果たし、その次の場所に大関昇進を決める。
琴風にとってこの輪島戦は、ケガから復活後の分岐点となった懸け橋的な取組になったのではないか。

琴奨菊和弘

琴奨菊のがぶり寄りは、左を差してがぶり寄りで相手を一気に寄り切るのを得意とする。左四つの型を持ち、右上手を取らずに右からのおっつけや右で抱えて相手の左を封じながら寄る、珍しいスタイルだった。
彼のがぶり寄りは入幕からしばらくした頃の把瑠都戦でたまたま出たことがきっかけで得意技となったという。なのでアマチュアからプロ入りし、下積みの頃に習得したものではないらしい。

2011年5月場所千秋楽 対大関 把瑠都戦

がぶり寄りの醍醐味、お手本のような相撲である。
(上述から)しかしこの相撲ががぶり寄りへの契機になって開眼したかは定かでない。

琴奨菊はこの3場所後に大関昇進を決めた。そこから大関を32場所勤め上げた。
2017年3月場所で関脇に陥落。以降も金星3個獲得するなど輝きを放つ。
2020年11月場所8日目に引退。
年寄・秀ノ山を襲名し、独立するという話がかねてから聞こえてきてたが、計画は進んでいるのか。

がぶり寄りと言えば、この佐渡ヶ嶽の2大レジェンドをすぐ思い出したが、元関脇・荒勢(花籠)も得意としてましたね。相撲界廃業後タレントなどで活躍したあの荒勢です。

琴風の時代を懐かしみましょう↓↓↓

熱海富士、優勝へ向けて 秋場所12日目

 一敗の熱海富士、どこまで快進撃が続くのか今日は関脇・大栄翔戦。
回転のいい突っ張りで攻勢をかける大栄翔。いなして応戦する熱海富士。熱海富士の足が揃いぎみになったところで大栄翔の引き落としが見事に決まった。熱海富士だって悪くなく、精一杯抵抗してみせた。終わって振り返れば、大栄翔の術中にはまったということか。熱海富士、悲観することはない。ここは明日に照準を切り替えようではないか。明日は貴景勝と結び前で激突する。

昨日(11日目)で給金直し、カド番脱出。この先の終盤にひとつでも多くの白星を積み重ねたいところの貴景勝は琴ノ若戦。
立ち合いから貴景勝ペース。琴ノ若は凌ぐのが関の山。きっちりと押し出した。7日目・8日目と連敗してた頃と打って変わって、本来の相撲を取り戻している。翔猿戦と若元春戦の取組直後にはケガをしたのではと気になるところもあったが。

~十両の優勝争いと豊昇龍~

大の里は、北の若に対してしゃにむに寄って出たが、北の若は立ち合いから左上手を引いていた(主導権を握っていた)その左上手で土俵際、豪快に上手投げを決めてみせた。大の里2敗目、明日は欧勝馬。

一山本も自分のペース・充実した相撲っぷりで、今日も時疾風を鮮やかにはたき込んで一敗を守った。明日は狼雅戦を控える。

豊昇龍は立ち合いちょっと焦らして、豪ノ山を押し出した。この立ち合いの焦らしは以前から散見されるが気持ちのいいものではない。大関にもなったのだから、そろそろ真っ向から堂々と受けてもらいたいものである。星を五分に戻した6勝6敗

12日目を終えて
幕内 2敗 熱海富士
   3敗 貴景勝・髙安

十両 1敗 一山本
   2敗 大の里

秋場所、最終コーナーへ突入!
熱海富士・貴景勝の直接対決が今から楽しみでならない!

まずは勝ち越し決めようぜ!↓↓↓