伊勢ノ海に部屋付き親方6人、後継者は誰?

 伊勢ノ海部屋には、部屋付き親方が6名いる(参与・再雇用を含めて)
部屋の歴史をたどれば、おととし7月に鏡山部屋が閉鎖になったため、同部屋所属の(力士・親方・裏方)全員を受け入れ(親方は多賀竜と起利錦、年寄で言うと鏡山と勝ノ浦)去年8月に元・高望山の高島親方(流転の相撲人生)が宮城野部屋から転属したため6人もいることになる。 
朝稽古なんてどんな感じなんでしょうかね。厳しい声での指示・指摘があらゆる角度から飛んでくるのでしょうか(笑)

いやいや、勢が引退して断髪式・引退相撲があって「伊勢ノ海」を将来的に継ぐ者・後継者って誰かなとふと思いましてね(大分早い話ですが)

現在先頭に立ち、部屋の舵を切るのがその名の通り伊勢ノ海親方(元前頭・北勝鬨 57歳)引退してから23年も経つんですね、時の流れはなんて早いのか!

実績・年齢順で言うと、次は元関脇・土佐ノ海の立川親方か。※一時は大関候補と目された上位キラー 金星11個。

そこから数年置いて、勢(元関脇)ですかね(現・春日山親方)
あるいは、その時の状況にもよりますが、現・伊勢ノ海親方のあと(直後)に勢が継いだりして。
もしくは、わずか数年(2~3年)もしたらその春日山親方が独立して部屋を持つなんて話も聞こえてくるかもしれない・・・。

大碇の甲山親方だって、借株じゃなく正式に年寄名跡を取得しているのであり得る話です(伊勢ノ海継承)
最近では息子さんの若碇が話題をさらってますね(先場所の三段目優勝)

何はさておき、ここの部屋頭はあの錦木。32歳にして何かを掴んだか。
今後の活躍に期待したい!

妄想にお付き合いいただきありがとうございました。

これは目に留まります!!↓↓↓



時津風部屋出身のタレントと言えば

 

~豊ノ島大樹~

 豊ノ島がタレントとして大活躍中だ。
現役時代からユーモア溢れるものまねや軽妙な語り口がウケて、バラエティ番組によく出演していたが、相撲協会退職後もあちこちからオファーが絶えず、多忙な毎日を送っている。
テレビ・ラジオ・CM・インターネット(youtube)など多数メディア出演。

力士としての最高位は、東関脇。
2010年11月場所では(西前頭9枚目)把瑠都・魁皇の2大関を破る活躍で14勝1敗の好成績。優勝決定戦まで進出した実績を持つ(ちなみに決定戦では横綱・白鵬に敗れて優勝は逃す)
相手の懐に潜り込み、鋭い左差しやもろ差しを決めての速攻相撲を得意とし、殊勲・敢闘各3回、技能賞4回受賞。金星を4個獲得。

元大関・琴奨菊の秀ノ山親方とは、中学時代からのライバルであり親友としても知られる。

豊ノ島の場合、これでよかったのかもしれない。(借株から)正式に年寄名跡取得して(仮に)独立・部屋持ちともなれば、どれだけの時間(期間)と資金が必要になってくるか。そういう事で気を揉むより、元から特性のあった芸能の世界で勝負するのもいい生き方だと思うなぁ。

~蔵間竜也~

続いては、「善戦マン」「蔵間天狗」こと蔵間竜也。
相当な実力者・素質の持ち主と言われていた。相撲好きであった昭和天皇も目をかけていた力士で期待が大きかったが、腰痛の持病に悩まされ出世には時間がかかった。加えて美男・ハンサム(今でいうイケメン力士)で豪快な遊びっぷりでも知られた。

こちらも最高位は、西関脇。
左四つがっぷりに組んでの吊り寄り、右上手投げを得意とし、敢闘賞1回と技能賞2回。金星を2個獲得した実績がある。

1989年9月場所限りで引退。年寄・錣山を襲名したが、病気のため1990年(平成2年)6月に廃業し袂を分かつ。

相撲協会を退職後はタレントに転向し、大相撲関係のコメンテーターとして活躍。
スポーツコメンテーターなどとしてTBS系『ブロードキャスター』などのバラエティ番組でも相撲担当ゲストとしてわかりやすい語り口で人気を博した。

しかし、1995年(平成7年)1月上旬に持病の白血病が急性転化し緊急入院。
同年1月26日、急性転化多臓器不全のため、42歳で死去。

偶然、時津風部屋同士ということで取り上げたが、相撲で出世し(2人とも関脇まで登り詰め)タレントとしても万人に受け入れられてる両人だ。

豊ノ島と蔵間を振り返りましょう↓↓↓

ありがとう 曙 世代交代の時 ~小錦から曙へ~

曙 太郎が亡くなった。今月上旬に心不全で亡くなったとされる第64代横綱。
今日は曙の通夜が東京都内で営まれ、元横綱 若乃花の花田虎上さんや師匠だった元関脇 高見山の渡辺大五郎さんをはじめ大相撲関係者など約300人参列したという。

今日はこの曙の死を悼み、去年の8月に当ブログで投稿したものを加筆修正し、曙氏を追悼します。

ここから本文に入ります↓↓↓

時は1993年(平成5年)11月場所・13日目

当時の大関・小錦は7度目のカド番でここまで5勝7敗、まさに大関維持へ崖っぷち・剣が峰に立たされてた。
対する曙は最高位・横綱に君臨すること5場所目。2場所連続優勝中。
ハワイから18歳で来日。相撲の事など何も知らなかった青年は、強烈な突き押しを武器にわずか5年で頂点(横綱)まで登り詰め、更なる高みを見据えていた頃か。

まずは、その取組動画から。

曙、立ち合いすぐの右上手。小錦、力一杯のど輪でその右上手を切りにかかるが、曙が引き付けて離さない。そのままがぶって寄り切り。

小錦、39場所守り続けた大関の座を手放した瞬間だった。

律儀な曙は小錦に一礼する(※この場面は今でも目に焼き付いています)
対して小錦はいつだって寛大だった。取組翌日には小錦に自身の勝利を謝ったが「これからの力士であるお前が俺に勝てないでどうする」と叱責されたという。

結果的に小錦の大関復帰は叶わなかった。その後、横綱大関を目論む若手有望力士に「立ちはだかる壁」的存在として大いに土俵を盛り上げてくれた。

1997年11月場所・13日目、対琴の若(現・佐渡ヶ嶽、琴ノ若の父)に寄り切りで敗れ負け越しが決まり、引退。小錦は「相撲人生に全く悔いはない。ハワイから日本に来ていい思い出ができた。相撲をやって本当に良かった」「2日間取れなかったが、ほかの力士に失礼だから。満足しています。ファンの方には、この場を借りて“15年間ありがとう”と言いたい」と相撲に深い感謝を語った。

小錦 八十吉 幕内優勝3回、(最高位の)大関在位は39場所。

曙はこの場所(1993年11月場所)優勝した(6回目・3連覇)が、これを境に膝やヘルニアなどで休場が多くなった。
2001年の1月場所は、持病となった両膝のケガの悪化により全休。その1月場所終了直後の2001年1月22日、両膝の回復がこれ以上見込めないなどの理由により、突如現役引退を表明。
引退前年の2000年は7月と11月の2回優勝をしたにもかかわらずの現役引退だった。

曙 太郎 幕内優勝11回、(最高位の)横綱在位は48場所。

相撲人生(出世争い)は、曙の勝ち。
両者のその後の人生(相撲界を離れたあとは)小錦が大量リードしている(周知の通り)

現在の曙は、2017年頃から寝たきりで記憶障害・心臓疾患等を抱えているそうだ。
ともかく、リハビリ中とのことです。元横綱はつらい現実を長い間戦っている。

人生どこで何が起きるかわからない。

この2人の人生の対比からも、それを見て取ることができた。

と、やや小錦寄りの投稿になっているか。

元横綱として協会に残り続けられたらどんな人生になっていたのか、どういうタイプの力士を育てていたか。真面目で謙虚なまさに曙のような力士を育ててほしかったな、合掌。

曙よ、永遠なれ↓↓↓

1997年5月場所優勝 曙太郎 カード

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介護業で頑張る、元・舛ノ山

 舛ノ山大晴(ますのやま ともはる)
2010年11月場所から2015年3月場所まで関取として番付され(うち1場所のみ幕下)最高位は西前頭4枚目。

2010年ごろに医者から「肺が人より小さい」と忠告されたそうで、検査を受けた結果「心房中隔欠損の疑い」と診断されている。そのため、取組後は激しく息を切らせていた。(20秒しか戦えない力士として逆に話題にもなった)

しかし、それがゆえに常に早い相撲を求められ、そこに向けて絶えず全力・一生懸命さが伝わってくる相撲っぷり・ふるまいが人気を呼んだ。

この相撲なんかはそれらが顕著に見られる。

なんか今でいう熱海富士的キャラが少し被るでしょうか。

母親がフィリピン出身のハーフである舛ノ山は、フィリピンで生まれたのち1年足らずで千葉県に転居。小学3年からクラブに入り本格的に相撲を始め、わんぱく相撲や数々の全国レベルのアマチュア大会で実績を残した。
2006年7月に初土俵・千賀ノ浦部屋から(当時の師匠・元関脇舛田山)十両までは4年を要した。さらに1年後には、幕内入り。ケガの影響もあり1場所で陥落。その5場所後に復帰。そこから丸2年幕内に定着。唯一の三賞(敢闘賞)を受賞したのもこの頃だ(2012年7月場所)

次第に膝のケガが多くみられ、その影響で2014年頃から番付降下を余儀なくされる。

2015年3月場所が最後の十両での場所となった。
その後はケガや病気(難病)に苦しめられ、キャリア末期は稽古も満足にできず、歩くときには強い痺れがあり、腰痛の影響で廻しも締められなかったという。

現在は「介護職員初任者研修」の資格を取得し、東京都荒川区内の介護老人保健施設で第二の人生を歩み始めている。施設の方達にも愛され、人気を博しているのでは。

頑張れ、舛ノ山!!

力士時代↓↓↓

近影 別人のように瘦せられたそうです↓↓↓

今後も応援してるぞ!↓↓↓

 

衝撃!明瀬山引退!!

おとといに明瀬山ネタで投稿させてもらったばかりなので、もう、びーっくりです!
驚愕でした!

日本相撲協会は10日、元幕内で幕下の明瀬山(木瀬)の引退と年寄・井筒の襲名を発表した。明瀬山は「目いっぱい相撲をやったので『あー、良かった』という思いしかありません」と笑顔。最後まで涙はなかった。

 引退の決意を固めたのは、5月の夏場所後だったという。西幕下7枚目の番付で2勝5敗に終わり「勝ち越しが続いていて、稽古も調子が良かったのでいけるかなと思ったんですけど、負けが込みまして…。調子が良かったのに残念な結果で、ここが限界かなと思い、師匠に相談しました」と明かした。

 愛知県春日井市出身で7月の名古屋場所はご当地。特別な思いを胸の内に秘めた土俵でもあった。結果は東幕下16枚目で、5勝2敗と勝ち越し。最後は家族の前で勝ち越しても負け越しても、いい相撲を見せたい思いで臨み「親には『十分に楽しませてもらった』と言ってもらえたので、やってきて良かったなと思いました」と、すがすがしい表情だった。

 21年初場所では史上4位のブランクとなる28場所ぶりの幕内復帰を果たし、初日から6連勝するなどして9勝6敗と勝ち越した。しかし、同年夏場所で顎を骨折し途中休場。その後も2場所連続で全休を余儀なくされるなど、けがに苦しんだ力士人生でもあった。

 今後は部屋付きの親方として後進の指導にあたる。師匠の木瀬親方が「いろんな人に好かれる力士でした。きつい稽古の後でも、明瀬山がいると(みんな)笑顔が出ますし、場を和ませます」と評するムードメーカー。明瀬山は「強くならなくても(現役を)やめるときは『この力士を応援して良かったな』と思ってもらえる力士を育てたい」と抱負を語っていた。
(スポーツ報知より一部抜粋)

飄々としていて、人柄もよく、取組までの独特なルーティンは忘れられません。
今、私の胸の中には計り知れない淋しさが占めています。
井筒親方として後進の指導・素晴らしい力士を育ててください。益々のご活躍を祈ってます。

明瀬山関、15年間に渡る土俵生活、本当にお疲れ様でした。↓↓↓