東大卒力士・須山、三段目上位で奮闘中

 東大卒・須山の投稿がだいぶ遠ざかっていた。
数えてみたら、去年6回取り上げさせていただいている。

今日の13時過ぎ、NHKのBSを見ていたら颯爽と登場してきた日本の最高学府・東京大学出身の須山(木瀬)
2年余りの土俵生活で番付は西三段目10枚目と自己最高位を記録していた。
とうとうBSに顔を出すぐらいになったんだなぁと感慨深かった。
上体が以前よりも明らかに逞しくなり、体重も増加したようだ。

対戦相手の出羽ノ城(出羽海)は現役力士最重量の252キロ・東三段目13枚目。
昨今、BS放送開始直後によく見かける力士で幕下と三段目の往復が続いている力士である。

実際の取組だが、最重量の巨漢へ果敢に突っ張っていく須山。
距離を作ったあと、潜って相手の足を抱え上げて「足取り」で倒した。

よくぞ勝った、よくぞ対峙した。
事前に考えた作戦は「相手が負けている映像を見て研究した。正対したら足を取ろうと。3つぐらい想定していた」と言葉の端々に高学歴が滲む。

これで3勝1敗と勝ち越しリーチがかかった。
「とりあえずあと1番、変わらぬ気持ちでいきます」と謙虚に語ったそうだ。
今場所あと3番。勝ち越し決めて、幕下行きの切符を掴めるか。

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愛知県体育館の優勝力士 昭和47年・高見山

 愛知県体育館での最後の場所だった名古屋場所。60年(60回)開催されたこの会場での優勝力士を振り返ってみた。
すると、52年前の7月場所にあの高見山が13勝2敗の好成績で史上初の外国出身力士による幕内優勝を成し遂げていたことがわかった。今日はここに着目して振り返ろうと思う。

アメフトに打ち込んでいたというジェシー少年。
しかし、高校時代に交通事故で足腰を負傷して1年間歩行不能になるほどの重傷を負い、アメフトを断念。
高校卒業後は運送会社で働いていた(パイナップル工場に勤めていたという説もあり)

相撲界に入るきっかけは、当時の明治大学相撲部長の紹介で師匠の高砂(元横綱・前田山)に5年間衣食住を保障するとスカウトされ来日。

苦労の始まり
異国・異文化の違いに苦しめられた。
ちゃんこの味に慣れるのに1年
体が固く、股割り稽古には「目から汗が出た」(←これ有名な話)

力士として
十両まで3年。その十両は負け越し知らずで5場所で通過。
幕内に上がって4年半でチャンスが訪れた。
この期間に敢闘賞2回、金星2個を獲得、小結9場所を経験。
順調な出世に平行して実力も着実につけてきた。

昭和47年7月場所
当時、一人横綱だった北の富士が全休、大関・大麒麟が途中休場ではあったが、高見山は並み居る強豪を撃破。13勝2敗で見事、史上初の外国出身力士による幕内最高優勝を成し遂げた(当時の番付・のちに横綱になる琴櫻は大関、関脇に輪島と三重ノ海、北の湖に至っては東前頭7枚目)2敗は(琴櫻と貴ノ花)によるもの。動画は千秋楽(優勝を決めた)旭國戦。

表彰式では当時のアメリカ大統領、リチャード・ニクソン氏の祝電が読み上げられた。

以後、大関候補として注目されるも2ケタ勝利が続かず。

しかし、気持ちは切らせた訳でない。
(初優勝以降の)獲得金星9個、三賞獲得・殊勲賞5回、敢闘賞3回を記録。

ジェシーは常々、「40歳まで相撲をとりたい」「両国国技館で相撲を取りたい」と語っていたそうだが、それは叶わなかった。

1984年(昭和59年)5月場所、引退を表明。

引退後、40年以上経った現在でも輝き続ける記録がある。
幕内在位:97場所
通算連続出場:1425回
金星獲得:12個
幕内通算出場:1430回
などなど。

引退後、年寄・東関を襲名。
墨田区東駒形のこの地で曙・高見盛・潮丸・華王錦などを育てている。

後年、あの元・横綱 白鵬が親方の宮城野部屋が仮住まいしていたが、例の不祥事により部屋が消滅。もぬけの殻になったであろうあの部屋の3階部分にジェシーは住み続けているのだろうか。

これ面白そう↓↓↓

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大の里終盤戦へ、これだけは断ち切ろう!

 大の里 泰輝(二所ノ関) 西関脇 5勝4敗

先場所の幕内優勝者
今場所大関獲りもかかる。

大関昇進の条件(おさらい)
三場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあり、そこで通算33勝以上
とある(しかしこれはあくまで目安で過去に例外はいくらでもあった)

大の里の直近2場所
3月 西前頭5枚目 11勝4敗 敢闘賞・技能賞
5月 西小結    12勝3敗 幕内優勝・殊勲賞・技能賞
というもの。
3月は幕内在位だったが、5月も含めて複数の三賞と優勝も獲得。
立派に2ケタ勝利を記録しており「大関獲り」も、と機運も高まっていた。

今場所見ていて、どうしても消極的な相撲というか雑な感じの引きがあった。
初日・御嶽海戦
2日目・若元春戦
9日目・豪ノ山戦
などは(申し訳ないが)自らを敗戦に導くかのような引きだった。

(この3番の中で)特に印象が悪かったのがこの若元春戦。

上述した背景がある中で(言うまでもないが)こういう相撲は止めよう(引きたくなる)気持ち・欲を我慢しよう!もったいない!

彗星の如く表れた新鋭の取り口を研究し(ある意味)潰しにかかってくるのは当然のこと。
ここまで頑張って磨き上げた四つ相撲と突き押しの「正攻法」で勝負に出よう!

目先の引きや叩きに頼らず、相撲の基礎基本に立ち返ろう!

今日を含めてあと6日。
最後まで諦めずに戦おう!

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野村(元・出羽の花)を振り返る

 日大卒。「学生横綱」タイトル獲得で鳴り物入りでデビューした「野村」にも挫折があった。幕下60枚目付出デビューの場所を負け越し。

プロの土俵、角界の水は甘くなかった。
所要8場所目での新十両(この場所から「出羽の花」)新入幕へはそこから15場所を要し、1977年11月場所で成し遂げた。この時間経過の間に何かを掴んだのか、引退までの62場所連続で幕内に在位する。

得意な形としては、前みつを引いての寄り、出し投げなどで上位を苦しめた。

愛称である「鉄の爪」が生かされた2番。
1982年3月場所7日目 対大関・琴風戦

同じく1982年3月場所9日目 対横綱・若乃花(2代目)
鉄の爪で当時の横綱・若乃花をちぎって捨てるかのような上手投げで勝った相撲。

初代・若乃花が師匠時代の二子山部屋勢、貴ノ花(貴乃花のオヤジ)若嶋津・隆の里にはいい戦績を残している。

1988年1月場所限り引退。
引退後は、年寄・出来山として出羽海部屋付きの親方として後進の指導に専念。
理事も1期(2年)務めた。2021年5月場所限りで相撲協会を退職。現在72歳。穏やかな日々を送っているのだろうか。

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熱海富士と正代に感謝申し上げます 

 貴景勝の優勝、熱海富士の大健闘から一夜明けまだ興奮が冷めやらない。世間・ネット上では決定戦での決着(というか立ち合い)に対して、やはり非難の声が多いようだ。
今日はどういう内容で投稿しようか考えたが、私の推し力士・熱海富士と正代の今場所の相撲を何番か振り返ろうと思う。

今場所の熱海富士に「パワー」「破壊力」「圧力」などの表現する言葉が並び、よく目についた。
しかし11勝を振り返ってみると、土俵際の粘り勝ち・劣勢からの逆転で勝利を積み重ねたのも印象に残っている。

~14日目・阿炎戦~

優勝争いも佳境に入っていた14日目、阿炎の立ち合い大きな変化で、普通ならこれで終わる・足が出てしまってもおかしくないぐらいだが、ここで持ちこたえ逆襲に転じ、力強く寄り切った相撲。稽古相手に恵まれた伊勢ヶ濱部屋で日頃からかなりの番数をこなし、鍛錬を積んでる証だろう。見事に阿炎を打倒してみせた。

~6日目・御嶽海戦~

取り直しになったこの一番。本割りにしても、土俵際で決着がついた似たような相撲だった。相撲内容は決して褒められたものではないが、ここで残れたのも稽古の賜物ではないかと思い取り上げた。

~(3日目)妙義龍戦・(4日目)千代翔馬戦~

相撲巧者・妙義龍戦でも、右四つから出し投げで崩して寄って出てきたところに小手投げでズバリと決め、翌日の千代翔馬戦でも土俵際ですくい投げを決めてみせた。劣勢を挽回できるメンタルと強靭な肉体・スタミナも徐々につき始めているのであろう。

ー今場所の正代

今場所3関脇に3連敗スタートの正代、厳しいかな・難しいかなと思っていた。
そこから豊昇龍と貴景勝の両大関を撃破したのは痛快だった。「ようやく目が覚め始めたかな」と。

~4日目・豊昇龍戦~

鋭い踏み込みから一気に押して出る豊昇龍。左が入った正代。思い切りよく振り回すようにすくい投げを決めた。先輩大関は新大関へ相撲を通してメッセージを送ったともいうべきか。

https://www.youtube.com/watch?v=-Mihzmpbg7I

~7日目・貴景勝戦~

貴景勝がいなしたあと、強烈な張り手を右に左に食らわせるも正代は怯まなかった。逆にそこにつけこみ押し出した。終わってみればこの張り手で正代の闘志に火がついた形になった。

~14日目・朝乃山戦~

14日目のこの相撲は会心の相撲だった。立ち合いからもろ差しとなり、一気に寄り切って朝乃山を寄せ付けなかった。全くの正代ペースで強さと逞しさを感じ「やればできるじゃん・いけるじゃん」と思えた。

ー二人への所感

正代
左足首や右足親指の過去のケガの具合はどうなのか、全てが完調というわけではないだろうが、私はまだまだ十分に三役上位で2ケタ勝てるだけの力があると見ている。
31歳、全然老け込む年ではない。

熱海富士
これはサイドストーリーになるのだが、熱海富士は母子家庭で苦労して育ったと聞く。
小学生の頃には仕事の母に代わりに夕食を作り、高校時代は家計を助けるため、皿洗いのアルバイトで通学交通費などを自ら稼いだそうだ。しかし、熱海富士からはそういったつらい過去から卑屈さや自虐的な面が全くなく、どこまでも温厚で礼儀正しく、穏やかで和やかな好青年をこれからも応援し続けようと強く思った。

秋場所を盛り上げてくれてありがとう、両雄へ。

来場所も頑張ってくれ!↓↓↓