大辻(高田川)が羽ばたく時

 ついにこの男が十両の土俵にお目見えする。

大辻 理紀(高田川)

幕下の土俵に居座ること連続26場所。
それまでの順調な足取りを思えば(脱臼癖や右膝のケガもあったようだが)少し停滞期間が長かったか。満を持して新十両に昇格した。先場所千秋楽に島津海に勝ち、花道で流した涙が苦労の証。

熱血指導で知られる元関脇・安芸乃島が師匠の高田川部屋で鍛錬を重ねてきた。

小学校3年から始めた相撲。
わんぱく相撲大会では、小学校4年から3年連続で出場し、5年次には8強入りした。
中学時代は、全国大会で個人・団体で軒並み入賞。

「相撲をやるならプロで」とブレない考えのもと、高校へは進学せずに高田川部屋に入門したという今どき、珍しくなった中卒力士。

年齢は若干21歳とこの先も無限の伸びしろを感じる。
本名のまま取り続けることに何か深い理由や意味があるのか。

大辻を含め5名の関取を有するこの部屋で揉まれ続けてきた蓄積を爆発させる時がきたか。


朝青龍の勝ち誇る勝ち名乗り

 朝青龍が好きな理由

・止まらない止められないスピード相撲
・気合気迫満点みなぎる闘志
・やんちゃを許したくなる魅力的な人間性
などなど。

右側が近影らしいですね↓↓↓

あ、あと、勝ち名乗りを受ける時の一連の動作・所作がありましたね。

当時私のテレビ桟敷で見守っていた気持ちを振り返るとこれが一番楽しみだった気がします。
間違いなくヒールな存在で、対戦者(挑戦者)に「勝ってくれー、ひと泡吹かしてやれー」と応援するのだが、朝青龍が対敵を打ち負かせば「おっ、これから(あの所作を)やってくれるぞ!」となったもの。

これを機に(当時を懐かしみ)いろいろ検索かけてみたが、あれはやっぱり審判に対するメッセージ「ドルジ流・勝利の儀式」だったのか。

横綱在位42場所(うち半分の21場所を一人横綱として当時の角界・本場所を牽引)
優勝回数25回のうち(横綱時代に)23回を記録。
横綱時代の勝率83.6%と歴代の中でも偽りなく超一線級。

当時の師匠・朝潮でさえ全く操縦できなかった破滅的キャラ(若くして栄光を手にした代償ともとれる)
自身の不祥事が重なり、最後は追われるように相撲界を去ったが、見方・角度を変えればこれも「朝青龍らしさ」が漂う。

甥の74代は、叔父68代のスピード相撲と闘志むき出しの鬼気迫る表情は受け継ぎ済。
まぁ、この勝ち名乗りを継承することはなかろうか。

消えた宮城野 宝香鵬 宏作

 宮城野部屋閉鎖から丸1年近く経った。
理由は当時幕内の北青鵬の後輩力士に対する暴力行為から端を発したこと。
以降は伊勢ヶ濱部屋預かりとなっている。
照ノ富士の引退、更には現・伊勢ヶ濱親方(元・横綱 旭富士)の定年が今年7月と迫っており、にわかに(白鵬の)宮城野部屋復活のタイミングがいつになるかという話題も聞こえなくもない。

今回はその1年前の閉鎖したタイミングで引退していったとされる4名(宝香鵬、大谷、千鵬、竹丸)のうちの「宝香鵬」を振り返る。

埼玉栄高校で相撲ではなく、レスリングをやっていたそうで、父とともに国技館で相撲観戦した帰りに当時の大関白鵬からスカウトされたという「おとぎ話」のような力士になったきっかけを持つ(高校も2年で中退)

三段目から幕下に上がるまでやや時間を費やしたが、ひとたび幕下に昇格してからは引退まで三段目以下に降格することはなかった。幕下を12年以上(74場所)張り続けたというのだからすごい。この記録は連続幕下在位記録歴代3位だそうです。

一時は、西幕下3枚目まで躍進したが関取昇進ならず。
最後まで白鵬の弟子として師匠を変えることはできないとして、部屋の閉鎖のタイミングと同時に相撲協会に引退届けを提出した。

宝香鵬 宏作
通算成績:360勝321敗27休

このうち、幕下で相撲を取ること500番近く。
関取の日の目を見ることはなかったが、力士としては胸を張って「成功した」と言い切れる部類の実績だと思う。

好物はカレーライス
座右の銘は「燃える闘魂」

第2の人生は充実したものであるのか。

超レアな動画を発見!
今、世間を震撼とさせている翔猿の本名「岩崎」時代に、この宝香鵬と対戦している一番を見つけた。

拝啓・弓取り力士様 聡ノ富士編

 先場所途中で横綱・照ノ富士(伊勢ヶ濱)が引退したのと同時に聡ノ富士の弓取り式も見られなくなった。6日目以降は琴翼(佐渡ヶ嶽)が再起用となってそのまま千秋楽まで続けた。

 横綱が在籍する部屋に所属する力士かつ幕下以下の番付下位の力士が弓取り式をする力士の原則となっており、この規定に当てはめれば、もう聡ノ富士の弓取り式は見られずじまいの可能性が高い。

弓取り式を行った最多回数を誇る力士は、他でもないこの聡ノ富士。
来る日も来る日も、結びの一番で勝利した力士に代わり弓を振り続けてきた。

さて本業の方は。
既に47歳。2か月後には更に1歳年を取る。
先の1月場所は、東序二段72枚目で2勝5敗。
どこに目標を置き、何を支えに相撲を取り続けるのか。

通算成績:566勝617敗21休

高校時代の柔道経験が活きているのかわからないが「居反り」で勝つこと16回を数える。
「アクロバット」は何も宇良だけの専売特許ではない。

2018年の9月に炸裂させた一番らしく、逆算すれば実に41歳で決めたこの荒技であった。

ちゃんこの腕前も高いらしい。

年寄・井筒 元明瀬山を思い返す

 現役引退から1年半、明瀬山は年寄・井筒として木瀬部屋の部屋付き親方として活躍中。
相撲協会員としては、指導普及部・社会貢献部に身を置いている。

人間性、キャラクターの良さは今さら言うまでもない。
東京開催の国技館に行けば、花道(通路奥)や売店周辺で時折お見掛けする。

爆発的な力(これといった)決定的な型を持ち合わせていなかったように思えたが、大学を卒業したばかりの22歳の青年が38歳まで現役を続けられた理由として「師匠の指導のおかげでした」と謙遜気味に答えたという(引退会見時のコメント)

改めて番付の変遷に目を通したが、十両昇進までは順調に駆け上がっていくも、幕内昇進は(初土俵から数えて)8年を要している。
(私はあとから知ったのだが)腰のヘルニアに悩まされ、出世の阻害となった要因らしい。

最高位:東前頭12枚目(2021年3月場所)
各段優勝2回
幕下 (2009年7月場所)
序ノ口(2008年3月場所) を記録。

好角家・能町みね子氏が命名したという「パンの山」と形容されたその垂れ下がった肉体で奮闘する動画を見つけた。
時は2021年初場所(5年ぶりの再入幕・明瀬山唯一の幕内勝ち越しを決めた場所であった)人情味あふれるインタビューも途中に収録されている。

(引退時に親方としての抱負を)「『この力士を応援して良かった』と思ってもらえるような力士を育てたい」と語ったそうだが、その言葉に匹敵する・相応しい若者を見つけられたでしょうか。

最後に、当時相撲ファンの間で話題となった断髪直後(大銀杏を切り落としたすぐあと)に明瀬山自身が朗読したメッセージの動画を貼り付けて、今日のブログを締めたいと思います。
9分以上に及ぶ感極まるスピーチでした。

井筒親方、今後とも変わらず応援させていただきます!