育盛 営業マン奮闘記

 あの育盛の近況が聞こえてきた。

今からさかのぼること10年前。
「すくすく育つように」と名付けられた育盛は、7月場所の新弟子検査直前まで体重63㎏の状態からおにぎり4個やうどん2杯、300ミリリットルの豆乳2本に、2リットルの水入りペットボトル1本半を飲み干して67㎏まで増量し、なんとか体格検査をクリアするという”伝説”を残したが、挑んだ前相撲は2戦2敗。(取組時間は一番相撲・1秒、二番相撲・2秒)と記録的な敗戦を喫した。翌場所、番付に名前が載ったと思ったら1番相撲は不戦敗となり、通算0勝1敗で力士人生に幕を下ろしたあの本名・田井雅人こと「育盛」である。

27歳と歳を重ね、紆余曲折の末に現在は「営業職」に就き1ヶ月が経ったそうだ。
何を扱っている会社なのか不明なのだが、出来高制・人材(経営者育成)の会社に入ったそうだ。実際に契約を取ったり奮闘中だという素晴らしい便りが発信された。職場の方からも評価され自信がついた明るい表情は凛々しく見えるとまで言ったら言い過ぎか。
最新の動画↓↓↓

相撲用語「3年先の稽古」に例えて、3年先から5年10年単位で成功したいという野望を内に秘めてると受け止められた。

これからも温かく見守っていきたい。

育盛を扱った3度目の投稿である。
過去の2回も貼り付けておきます。

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必殺の叩き込み! 舛田山 ~石川県の名力士~

 激しい突き押しで相手の圧力を止め上体を起こし、逆に相手が攻め返そうとする意思を即座に察知し、抜群のタイミングで叩き込む。この職人芸で最高位・関脇まで登り詰め、力士としての立ち処を確立したのが舛田山(現役時代・春日野所属)である。昭和50~60年代の名力士の一人だ。

石川県七尾市出身。
中学時代から相撲を始め、高校横綱。拓殖大学進学後も全国大会決勝まで残るなど活躍した。
熱心に勧誘してくれた春日野部屋に入門を決意、時に1974年3月。同期には後に出羽の花となる野村(日大卒)がいる。

さて、このオリジナリティ溢れる取り口は相撲キャリア当初からのものではなく、ケガが転機となった(私が相撲好きになった子供の頃には「叩き一筋」という印象があったが違うんですね)1981年の秋場所で左足の腿腱筋を断裂する大ケガに発端する。
これを機に徹底的に叩く相撲を取るようになった。

1983年7月場所には2年半ぶりに小結に返り咲き、9日目に天下の横綱・千代の富士を引き落としで破った。この場所、殊勲賞を獲得。翌場所では最高位となる関脇まで番付を上げた。この辺りが舛田山力士人生のクライマックスか。

1987年7月場所では36歳3ヶ月で十両優勝(現在でも最年長記録)を果たす。これが最後の輝きとなった。
38歳まで現役で取り続けられた理由は若い時の稽古の積み重ねによるものだと回想する。

引退後は年寄・千賀ノ浦を襲名し、春日野部屋の部屋付きとして後進の指導に当たったが、2004年9月場所後に分家独立して千賀ノ浦部屋を開設した。

育てた関取は舛ノ山。
ここから調べたら、舛ノ山が新十両を決めた2010年11月場所の他の新十両力士は、髙安・明瀬山・剣武とすごい名前があった。

舛田山の故郷、能登半島地震で被災した七尾市の桜は現在満開であると聞く。

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春場所のやらかし

 すみません、春場所のことをまだ書きます。

「式守伊之助」から「木村庄之助」になって2場所目。
千秋楽結びの一番で軍配差し違えをやらかしてしまった。
霧島ー琴ノ若戦、土俵際の投げの打ち合いにて。
琴ノ若の左腕(ひじ)と、霧島の右足が落ちるのとで庄之助の上げた軍配は琴ノ若(=霧島の右足が先に出た)と見た。
物言いがつき協議の結果「軍配差し違い」で霧島の勝ちとなる。
庄之助という肩書き上、打ち出し後に進退伺を申し出たが理事長からは慰留されたという。
立行司は生半可ではない。
我々素人はあぁじゃねこうじゃねと好き勝手言えるが、「短刀」を携えているので。
「短刀」を携えること=切腹する覚悟があるとされているが。実際にすることはない。
しかし、千秋楽結びで起こった差し違いはさすがに〇象はよくなかったですね。
停年を迎える9月まであと3場所「庄之助としての」裁きが残されている。

もうひとつ。
春場所東幕下34枚目の竜勢(伊勢ノ海)
7日目・栃清龍戦にて。
これは何に端を発したのだろうか、よくわからない。
途中(竜勢からのエルボー・ひじ打ち気味の)右からの張り手にも感情がこもっていたように見えた。寄り切った勝利直後もしばらく栃清龍を睨み付け、右手で自身の左胸をバーンと叩いた。土俵を降り、花道を引き上げる際にも、またしばらく睨み続ける。
何たることか。
たぶん、呼び出しくらってかなりキツいお灸を据えられたことだろう。
多賀竜2世も台無しである、現在37歳。

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殻を打ち破れ、王鵬!!

 今さら王鵬幸之介の春場所を語るならば、表面上だけの結果論(7勝8敗)からして「上出来」「大健闘」という言葉で括れるか。
自己最高位・東前頭3枚目としての相撲っぷりを大雑把に振り返る。

3月場所の初金星を振り返ると(本調子ではない照ノ富士に助けられた部分はあるが)のど輪を軸にして突き放した⇒前に出た⇒(照ノ富士を)のけぞらせた状態のまま勝負を決めた「寄り切り」常に照ノ富士より上体・重心低く、確実に圧力が伝わっていた。一世一代、史上初の3世代金星!(大鵬・貴闘力・王鵬)

オヤジ(貴闘力も)自身のyoutubeで「調子が悪い横綱といっても横綱だから(金星は)大きい」と言い微笑む姿はやはり父親の顔になっていた。

あと一歩・・・豊昇龍戦
展開だけで振り返ると、王鵬の相撲。最後の詰めの部分で、豊昇龍は寄られながら王鵬頼みの左下手をうまく切り、上体を浮かせた感じにさせ、逆転勝利を呼び込んだ。

横綱大関戦だけを振り返れば、3勝5敗で終わった春場所。
安易な引きに頼るところも見られなくもないが、以前を思えば徐々に改善がみられるか。
(3月場所)1点の負け越しで終わったので、大きな番付の後退はない。
(相当気が早いが)5月夏場所にどんなリベンジ劇を見せてくれるのでしょうか。

王鵬(大嶽)ガンバレ↓↓↓

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