復活の狼煙、照ノ富士と伯桜鵬 2024年初場所初日

 2024年初場所が今日から幕を開けた。

どこから行こうか、昨日も取り上げたが3場所ぶりに帰ってきた伯桜鵬から。
(ブランクを作った)左肩の手術に影響はないか、順調に回復しているのか、いろいろ試され注目集める再起の一番だったが矢後(押尾川)戦。
途中まわし待ったをはさんだ長い相撲。左四つがっぷりとなる熱戦だったが(矢後も得意とするスタイル)最後は右からの上手投げで切ってみせた。本人は反省しきりだったというが、まずは白星発進、次につなげたい。

休場明けと言えば、照ノ富士(横綱)もそう。
力士生命がかかっている状態で臨む初日・宇良戦。
立ち合い、宇良に浅いもろ差し気味になられたが、前へ出ることで距離を封じ強烈な左おっつけ(極め)で宇良を吹っ飛ばした(押し出した)結果オーライで良かったのだが、横綱らしいどっしりとした落ち着きや風格はそれほど感じなかった(そこまで求めるのも酷だが)一日一番、勝ちながら感覚を戻してほしい。

自己最高位・西前頭筆頭まで躍り出た熱海富士は大関・豊昇龍に敗れて黒星発進。
熱海富士、左上手を引くもののもろ差しを許し、右からの下手投げを打ちながら左手で熱海富士の右膝を押さえ、隙を与えず勝利を手繰り寄せた(豊昇龍)がっくりと天を仰いだ熱海富士。悲観することはない。明日は貴景勝。

横綱大関(関脇)まで白星スタート。
明日はどうなる、波乱が起きるのか。

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令和の怪物が帰ってくる

 相撲ファンはこの男の復帰を待ちわびていた。
あの伯桜鵬が3場所ぶりに土俵に戻ってくる。

昨年の初場所、幕下15枚目格付出デビュー。
7戦全勝優勝を決め所要1場所での史上最速十両昇進記録。
この十両だって2場所で通過。2場所目(去年5月夏場所)には14勝を挙げ決定戦に進出(結果、豪ノ山に敗れているが)

その余勢を駆って、翌7月名古屋場所で新入幕。
14日目終了時点で優勝争いの首位を並走(3敗)と大活躍。千秋楽には豊昇龍に敗れ109年ぶりの新入幕優勝は逃したが敢闘賞と技能賞をダブル受賞した。
この豊昇龍戦は敗れはしたものの、制限時間前からの闘志バチバチの睨み合いから凄かった。強く印象に残っている。

ところが7月場所後は左肩関節亜脱臼の為に夏巡業を不参加。
9月・11月場所と全休し、番付を大きく落とすことになった。
聞いたところによれば、この左肩の状態は中学1年生の頃から悪く、7月場所中も3回程度肩が外れることがあったという。
思えば、5月場所から肩周辺をグルグル巻きにしたテーピング姿で出場。
それにしたって、あれだけ内容の伴った相撲で白星を重ね続けるのだから(失礼を含む言い方になるが)「ホントに痛いのかな」とか、ある種のフリやポーズ「陽動作戦」なのかなと個人的には勘ぐったぐらいだった。

しかし、しっかりとした手術とリハビリを行い、時間をかけて治療。
初場所出場に関しては、慎重なスタンスを親方(白鵬)は崩さなかったようだが、本人の強い出場意思表示に「覚悟が決まっているなら出ていいぞ」と最終的には背中を押した。

「7戦全勝優勝する自信もある」と力強く語ったとされる伯桜鵬。

明日の初日に割が組まれており、対戦相手は東幕下6枚目、幕内経験のある実力者・矢後(押尾川)と発表されている。

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照ノ富士、力士人生を賭けて

 3場所連続で休場していた横綱 照ノ富士が初場所に出場することになったという。
師匠の伊勢ヶ浜親方(元横綱旭富士)が「出ることになっている。本人はやると言っている」と明言したそうだ。途中休場した昨年名古屋場所以来、3場所ぶりの復帰となる。

いよいよ土俵人生を賭けて、初場所に「挑む」決断を下した。
慢性的な膝の痛み(爆弾)、去年7月場所を途中休場することになった腰の痛み(のちに骨折と判明)の状態・具合はどうなのか。

数々の定説・常識を覆してきた。
史上初の序二段陥落からの横綱昇進を成し遂げ、相撲史に伝説・歴史を刻んだ。

今の状態を語るなら、師匠の伊勢ヶ浜親方(元横綱旭富士)が述べたように「私から見ると、やってみないと分からない状態」が一番的を得ているか。

横綱在位(先場所まで)14場所(この期間中の)優勝4回だが、しかし途中休場3回、全休5回も数える。

もし初場所前半(100歩譲って)中盤まで、黒星(負け)が込むようなら覚悟は決まっているのではないか。

初場所の対戦が予想される主要どころとの(照ノ富士からみた本割のみ)対戦成績
霧島  10戦全勝
豊昇龍 7戦全勝
貴景勝 6勝4敗
琴ノ若 6戦全勝
大栄翔 8勝6敗
髙安  12勝13敗
宇良  5勝1敗
若元春 3戦全勝
阿炎  4勝2敗
豪ノ山 対戦なし
翔猿  6勝3敗

あくまでザッとだがこういった感じになった。
意外と見られる対戦相手・成績(数字)もある。

右四つ(がっちり)引きつけての(力強い)寄りや投げ、これでもかとばかり(相手が震え上がらせる・全てを封じる)極め出しが見られるか、それとも次世代台頭の波にのまれる形・結果になるのか。

照ノ富士春雄(32歳)に運命の場所が訪れた。

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黒豹の優勝2回

 元大関・若嶋津六夫こと本名・日高 六男。
痩身ながらも左四つからの投げなどで上位陣に食ってかかった。

鹿児島県種子島に1957年(昭和32年)1月17日に生まれる。
中学校時代は歌手の長渕 剛と同級生(有名な話)
高校から相撲を始め、相撲部監督だった(坂口純治)に二子山部屋を紹介され入門(1975年3月 ※同期に元関脇・太寿山)

十両(関取)まで丸5年。その翌年に新入幕と順調にその帆を上げていった。
入幕後は一度も十両に陥落することなく、三役(関脇)へ。
大関までの直近3場所は(10・12・12)と合わせて34勝、昇進基準に文句なし。
大関昇進1年目の1983年(昭和58年)も2場所目のケガによる途中休場を除けば、全て2ケタと大関としては十分に及第点。

若嶋津六夫の土俵人生の絶頂は翌1984年(昭和59年)に訪れるのであった。
2回の(幕内)優勝、綱取りをすぐ手元まで手繰り寄せた。

1回目(初優勝)はこの年の3月春場所。
この場所西横綱の千代の富士は右股関節捻挫により8日目から途中休場。
そんな中で若嶋津は初日から11連勝。敗戦は12日目(当時)関脇の大乃国戦のみ。
最終成績14勝1敗。
他、成績優秀者は西張出大関・北天佑12勝3敗(4日目・出羽の花、12日目・隆の里、13日目・若嶋津に敗戦)
東横綱・隆の里と東9枚目・麒麟児が11勝4敗など。
若嶋津、初優勝を決めた一番↓↓↓

翌5月場所は9勝6敗と低調に終わったが、直後の7月場所で巻き返し全勝優勝(2回目の幕内優勝)を飾った。この場所の優勝次点が北の湖の11勝、10勝で(隆の里・北天佑・大乃国・佐田の海)と続き、深掘りすれば後に大関となる小錦と霧島が新入幕。更にあの北尾光司が十両優勝を成し遂げていた(西筆頭・12勝3敗)※千代の富士は全休。

翌9月場所に2度目の綱取りが掛かったが、終盤まで優勝争いに加わるも結局11勝止まり。連続優勝と綱取りを逸した。
次年からケガや糖尿病、内臓の病気に悩まされ成績が徐々に低迷。大関を守るのがやっとの状態だった。

1987年7月場所途中で引退。
千代の富士とは極端に相性が悪かった(若嶋津の3勝25敗)

引退後は年寄・松ヶ根を襲名、1990年2月に独立。松鳳山などを関取として開花させた。
現役では手塩に掛けて育てた一山本と島津海が活躍中(島津海は初場所の新入幕)

黒豹が蘇る↓↓↓

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阿佐ヶ谷横綱決戦

 昨日からの続きになるが、輪島の横綱在位は47場所(1973年7月場所~1981年3月場所)を数えるが、この期間中に「横綱」として切磋琢磨した力士は(北の富士・琴櫻・北の湖・(2代目)若乃花・三重ノ海)と5名を数える。

「輪湖時代」と評され振り返ることが多いが、今日はそれを逆手に取ると言ったら言い過ぎかもしれないが、この5名のうちの一人、2代目若乃花(幹士)との対決に焦点を当てたいと思う。

この2人の対戦成績は(輪島から見た)19勝14敗と輪島が若干リードしている形になるが、横綱としての実績・力士としての最終形で振り返ると、若乃花も負けていない。

当時の両雄が所属する部屋は輪島(花籠)に若乃花(二子山)
元大関・魁傑の放駒部屋と合わせて「東の両国、西の阿佐ヶ谷」と言われたほど活気づき、実力・人気を兼ね備えた関取を何名も輩出している(1970~80年代)

「黄金の左」と称された絶対的な左からの投げを切り札に持つ輪島に対して、左四つからの上手投げなど、廻しを引けば若乃花も遜色ないスタイルを持っていた。

両者の熱戦を回顧する。

①1977年(昭和52年)9月場所14日目 対 若三杉戦(当時・大関)
昨日も貼りましたが(すみません)
脂が乗りきった頃の輪島。当場所は中盤まで9勝1敗と優勝争いの一員だったが、11日目から(豊山・貴ノ花・旭國)らに3連敗した翌日の取組だった。
一方の若三杉。この日までの成績は10勝3敗だった。最終盤の横綱大関との対戦(潰し合い)をしている最中だった。

②1978年(昭和53年)11月場所13日目 対 横綱・若乃花(2代目)戦
輪島と若乃花、ここまで12連勝と負けなしで迎えた「阿佐ヶ谷決戦」
途中「水入り」が入る大相撲。息詰まる熱戦の模様がこの動画越しにも伝わってくる。
先んじて言うと、この場所を制したのはこの若乃花。通算4回の優勝の内、唯一の全勝優勝を果たした場所でもあった。

輪島は33歳で引退。
若乃花は29歳で引退。

両者とも結婚(プライベート)で躓いた。

輪島はその後、年寄株を担保にしていたことが発覚後(結果論)になるが、栄光が衰えていったように思う。(プロレスラー転向・相撲評論家・バラエティ番組出演・アメフトのクラブチーム総監督など)
若乃花は1983年12月に二子山部屋から分家独立後、多数の関取を育てた。
また調べてみては、当時中学生横綱のタイトルを獲得した高見盛を間垣部屋に勧誘したとされるが(高見盛が)断ったとされる(初めて知りました)理事を10年務めたが、自身や部屋の弟子に関するトラブルが相次いだ。

輪島は2018年10月に70歳で、若乃花は2022年7月に69歳で逝去している。

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