湘南乃海、大活躍に至る超人伝説。

先日、大関・貴景勝の3度目の優勝で幕を閉じた初場所を、新十両として12勝3敗の好成績で終えた。

NHKの中入りの時間でも5日目に取り上げられている。

その名は・・・、

湘南乃海 桃太郎(高田川部屋)

とにかく初場所の活躍はスゴかった。

3敗の内訳が、2日目・對馬洋、6日目・豪ノ山、12日目・朝乃山のみ。

193㎝・186㎏の体格を武器に、関取昇格まで9年を要した苦労を爆発させるかのように、白星を量産させた源はどこにあるのか、今日はその理由と経歴に焦点を当てようと思う。

1998年4月8日、神奈川県中郡大磯町に産湯を使った湘南乃海こと谷松将人。
父親が野球の指導者をしていたこともあって、小学生時代から野球クラブチームに入り、

小6時には189㎝・100㎏と高校生と間違えられるほど規格外。ちなみにランドセルは小学2年で卒業!

体格・見た目だけでも、あのメジャーリーガー・大谷翔平の小学校時代の上をいく数値だ。大谷翔平、小6時身長167㎝・体重60㎏(推定)

中学校に入ってからも野球を続けてきたが、ケガが多く諦めかけていた時、ドラマ「千代の富士物語」を見たことで興味がわき、身近に相撲関係者がいたこともあり、朝稽古などを見学に行くようになった。この事が湘南乃海の人生を大きく変えることになる。

中学卒業と同時に、元関脇・安芸乃島の高田川部屋に入門(2014年3月)
体格と比例して、出世街道も順調にいくかと思いきや、現実はそう甘くなかった。

幕下昇進まで、2年半の歳月を要した(2016年11月)

そこから十両(関取昇進)まで6年。
幕下上位(15枚目以内)でよく聞く名前、番付運・巡り合わせもあるだろうが、ここぞという場面で勝ちきれず、関取昇進を逃していたような気がしてならない。
「折れそうな時が何回もあったけど、我慢を学んだ。何事も我慢なんだなと思いました」
と湘南乃海は話したそうだ。

迎えた今年初場所。
2日目の對馬洋戦に、わずかな差で敗れるも、序盤戦を4勝1敗と上々のスタート。6日目・豪ノ山戦に押し出しされて2敗。翌7日目から5連勝で、

12日目・元大関・朝乃山と対決。立ち合い、湘南乃海が右上手を取るが、左から下手投げを打って崩す朝乃山。左をこじ入れて巻き替えを図る湘南乃海だったが、そこを一気に寄り切って朝乃山が勝ったが、新十両は元大関に十分に渡り合ったように見えた。

13日目以降、幕内経験者の大翔鵬と炎鵬、優勝争いをしていた金峰山を撃破。12勝3敗、優勝次点という文句なしの成績を残した。

東13枚目での12番(勝ち越し9)というと、単純計算で来場所は、十両4枚目辺りか。

湘南乃海(大磯)から中学卒業と同時に15歳で角界入り、血と涙と汗と砂にまみれながら、「関取」という名の花が咲くまで、9年もの時間を必要とした。
来場所は、幕内という更なる大海原に向け、帆を上げる。

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