尊富士が記録と記憶を残し歴史を変えた 

 結局、尊富士は出場を選択した。
昨日の朝乃山戦で痛めた右足(それまでのケガに至る伏線はあったかもしれないが)尾を引き(車いすで花道途中から引き上げ、救急車で病院に搬送された)本日(千秋楽出場)が決まるまで二転三転あったとか。激痛で眠れず、食事も喉を通らなかったが、痛み止めの注射を打ち、本割り(豪ノ山戦)に臨んだ。

右からの張り差しを選択した立ち合い。
この張り差しで豪ノ山の自由を奪う(突き押しにさせない)ことに成功した。
尊富士、左四つ右上手で寄って出るも、豪ノ山はこの右上手をうまく切った。が、尊富士、攻撃の手を緩めない。左下手で崩し、右おっつけからの押し倒し。

かくして、110年ぶりの快挙が達成された。
 
ここまでに、こんなやりとり・ドラマがあったそうだ。伊勢ヶ濱親方(元横綱旭富士・談)によれば
前夜、救急車で運ばれた病院での検査後、部屋に抱えられて帰ってきて「じん帯が伸びていますから、最初は親方に『ちょっと無理です』って言ってきたが、少し時間が経った頃に
『やっぱり、やりたい』『痛み止め打っても飲んでも何してでもこの一番なんでやりたい』
と、偉業の舞台裏にはこんな変遷があったという。

また尊敬する兄弟子の横綱照ノ富士から「お前ならできる」と声を掛けられ、一念発起。
同部屋所属・照ノ富士との普段からの稽古の積み重ねが、新入幕の場所を委縮することなく土俵に上がることができたとか。

尊富士と同じくして今場所を盛り上げた一人は「ざんばら髪」「入幕2場所目」の大の里
こちらも紆余曲折あった中で楽日に大関・豊昇龍戦。
大の里、寄る圧力だけで十分に大関を後退させているのだが、回しが取れていない・ひけていない為、土俵際の下手投げをあっさりと食う形になってしまった。

2024年3月場所
大の里泰輝(二所ノ関)西前頭5枚目 
11勝4敗 敢闘賞・技能賞受賞に終わる。

110年ぶりの快挙と春場所を牽引した若手2力士の台頭は、今後の相撲界の勢力図を大きく揺るがす基点になる場所になったか。

優勝おめでとう、尊富士↓↓↓

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