名力士が巣立った板柳町で大雨被害が・・・。

 青森県や秋田県などに深刻な大雨被害をもたらしている。

今朝の情報番組でも、その被害状況が報じられていた。

なかでも、板柳町を流れる岩木川は、幡龍橋水位観測所で氾濫危険水位を超え、警戒を呼び掛けてるそうです。

この報道に重ねるのは、無礼であるが、この板柳町から2名の関取を輩出している。

一人は高見盛精彦。
一人は追風海直飛人。

二人とも、世に知れ渡った存在・力士(人物)である。

高見盛精彦こと現・東関親方は、小学校4年の頃から相撲を始め、アマチュア横綱の実績を引っさげて、角界入り(東関部屋入門)。同部屋の横綱・曙に厳しく鍛えられ、途中、ケガもあり、番付を幕下まで下げることもあったが、見事に復活。最高位は小結を2場所勤めた。

2003年7月場所の中日の横綱・朝青龍戦での金星と、その際の喜びの雄叫びが忘れられない。

その愛すべきキャラクターと特異な振る舞い・パフォーマンスは、多くの相撲ファンから親しまれ、CMやバラエティー番組に引っ張りだこの人気力士だった。

もう一人の追風海直飛人こと齊藤直飛人は、7月の参院選に(青森選挙区)に立候補し、話題を呼ぶも、落選。直後の自身の辞職に伴う青森県議会議員補欠選挙に対し立候補の取りやめを発表したようだ。

そんな追風海の力士時代の略歴を紹介する。

昭和50年7月5日、板柳町に生まれ、地元の中学から埼玉栄高校に進学。国体優勝の実績を上げ、日大相撲部へ。3年時には学生横綱のタイトルをはじめ、(4年間で)15タイトルを獲得。

大学卒業後、追手風親方の内弟子として友綱部屋に入門し、幕下付出で初土俵。
順調に出世を果たし、2000年九州場所では、デビューから所要17場所で関脇まで昇り詰めた。

途中2000年7・9・11月場所では、3場所連続2大関に勝ち「大関キラー」とも言われる。

以降、度重なる膝のケガに苦しみ、番付も徐々に下降。2006年初場所限りで引退。

政治活動に加え、2010年より追手風部屋東北地区世話人も務めてるそうである。

最高位は関脇。
通算戦績は(48場所)で281勝223敗130休。

十両優勝1回、三賞受賞も技能賞1回を記録している。

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