竹葉山、師匠として

 12代宮城野こと竹葉山真邦。
失礼だが、力士として現役時代はそんなに大成したわけではないが、引退後に年寄宮城野を襲名して後の白鵬 翔ことモンゴル出身 ムンフバト・ダヴァジャルガル少年との出会いが相撲人としての竹葉山の人生(立ち位置や存在感)を大きく変えた。

入門当時身長175cm、体重68kgしかなかった白鵬だが、大きな手足と腰、柔らかい筋肉を見るに、もしかしたら化けるかもと思い、入門してからの2ヶ月間は稽古をさせず、毎日吐く程に食べさせ牛乳を飲ませ続けたり、当時部屋の経営に余裕がなかったにもかかわらず白鵬の口に合う鹿や羊の肉をわざわざ予算を割いて調達したという。

当時の面影が甦る↓↓↓

こうして、竹葉山の白鵬に対する環境作り・バックアップ体制と本人(白鵬)の並はずれた努力と血と汗と涙の結晶・積み重ねが調和し、「大横綱」の称号を手元に引き寄せることになる。

しかしその反動と言ってはなんだが、20代で数多くの栄光を手にした白鵬は(どこまで本人の自覚があったかわからないが)力士として人として徐々に「肥大化」していったのは否めない事実だと思う。
当時、話題になった横綱としてあまり相応しくない行為として挙げられるものとして
・(立ち合い時の)かちあげ
・(立ち合いや取組中の常軌を逸した)張り手(ビンタ)
・(肘に着用していた)サポーター疑惑(何か入っているのでは?)などと言われた。

そしてここまで(白鵬が横綱として)いろんな記録・実績を打ち立てると
「師匠」と「弟子」の肩書・言葉の持つ意味が段々と薄らいできた印象が少なからずあった。
「師匠」の最高位は前頭13枚目
「弟子」は横綱を張っていたのだから。

「師匠」としての「弟子」白鵬に対する舵取りやコントロールは(当時)自然と難しくなっていったのではないかと勝手に推察するが。
亡くなった朝潮が、朝青龍の扱いに苦労していたように。

話が横道に逸れた。
時の少年(後の)白鵬が縁あって入門したのは、竹葉山が師匠の宮城野部屋。
(白鵬が)冨と栄光を築いたのも宮城野部屋。
竹葉山は白鵬を育てるのにこれ以上ない労力を注ぎ込み、大横綱に育て上げ「名伯楽」と呼ばれるまでになった。

竹葉山は、弱小だった宮城野部屋を一大勢力にまでになる基盤を作り上げ、更なる栄光への架け橋を白鵬へ受け継いだ大人物である。

宮城野部屋の歴史の証人です↓↓↓

大ちゃんこと朝潮が急逝

 いやぁ、びっくりしました。
つい先程、ネットニュースで4代朝潮 先代高砂 (本名・長岡末広)が小腸がんのため67歳で亡くなったというニュースを聞いた。

先月24日に、朝青龍とのエピソードを主とした投稿をしたばかり(もちろん自業自得の部分もあるが)朝青龍を始めとした弟子の問題で苦労したなぁと。

現役時代をダイジェストで。
とにかく北の湖に強かった・分がよかった(対戦成績・朝潮の13勝7敗)
その北の湖戦を含む、2代目若乃花と千代の富士を撃破する一番が集約された1983年(昭和58年)初場所の朝潮の活躍ぶりをプレイバック!この朝潮が大関に昇進する2場所前のことでした。加えて、皮肉にも(2代目)若乃花はこの一番が現役最後になった。

振り返ってみると、「大ちゃん」こと朝潮太郎の全盛期・最盛期だった頃の相撲が一括されている。当時の若乃花に引導を渡したのもこの朝潮。

大関に上がってからは、パッとした成績を治められてない。大関在位36場所中、2ケタ勝利が7回のみ。膝を中心とした足の故障が多く「大関」を守るのがやっとだった。

引退後、年寄として

引退後、年寄・山響を襲名し、部屋付き親方だったが、先代若松の病気廃業を機に若松部屋を継承。
ここから、後の大横綱・朝青龍や(現役として活躍している)朝乃山に出会い、師匠として(部屋経営)の部分でいい思いもしたが、特にやんちゃな朝青龍には苦労して、振り回された。
3年前に高砂部屋を朝赤龍に託し任せ、名跡交換で錦島へ。最後は朝乃山の不祥事に自らも関与・関わる部分があり、半ば追われる形で相撲界と袂を分かつ。

1年程前から、死因とされる小腸がんを発症したと言われてる。

親しみやすいやすいキャラ、愛くるしい笑顔、今でもすぐそこにいるような気がしてならない。お悔やみ申し上げます。

ご冥福をお祈りします

尊富士は力士人生を昇華できるか

 鳥取城北高校から日本大学(相撲部)卒業後にプロ入り、序ノ口からここまで負け越し知らず(言い換えると4勝以下を知らない)、伊勢ヶ濱部屋所属 尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや)はこの九州場所で、力士人生の大きな岐路に立つ。自己最高位・西幕下筆頭へと躍進してきたのだ。

突き押し相撲の研鑽を積み、ここまで這い上がる。
師匠の元横綱・旭富士と同郷の青森県出身。

このワイルドな風貌から、次から次へと繰り出される突き押しを直撃されたらたまらない。

念願の十両昇進への最後の(難関)ハードルを潜り抜けるには
白鷹山(高田川)・輝鵬(宮城野)・栃武蔵(春日野)・對馬洋(境川)・琴手計(佐渡ヶ嶽)・大辻(高田川)など、幕下だけでも対戦する確率・可能性を考えれば、これだけの難敵を撃退していかなければならないだろう。

尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや)が隆盛極める伊勢ヶ濱部屋で現役6人目の関取に名乗り出ることができるか、九州場所の土俵に要注目である。

ここまでの通算成績(たった7場所の在位で)37勝5敗!
5回しか負けてない!!

序ノ口優勝時の尊富士↓↓↓

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照強が霞んでいく

 新番付では東幕下17枚目、照強翔輝が遠く霞んでいく印象である。
幕下陥落後5場所が経つ現在地だ。
「あの豪快な塩まきは」
「得意の足取りは」
華やかな関取の座からすべり落ち、以前ほどのスポットが当たらなくなった今、存在感が場所ごとに薄らいでいるのも現実だ。

ちょうど1年前、去年の11月場所に東前頭16枚目で15戦全敗を記録した時は(あの板井以来の31年ぶりの記録)元々抱えていた両膝の故障に加え、糖尿病も患っていたらしいですね。場所中は血糖値が400まで上昇し、インスリンを服用しても数値が下がらなかったとか・・・。これで15連敗した理由に合点しました。
力士に膝のケガはつきものですが、糖尿病でしかも血糖値がこれだけ上昇してしまうと、その場所の不調以上に力士生命にも影響を少なからず及ぼすのでしょうか。

「糖尿病」で追いかければ、隆の里や千代大龍、若嶋津なんかもこの病気で苦しみましたかねぇ。

照強は「まだ」28歳。
モチベーション・気持ちを切らさず、まだやってほしい!
出来るはずだ!

照強の四股名の由来は何だ!自身の兵庫県南あわじ市出身にならって
阪神・淡路大震災の時の「強くなって被災した地元を照らせるように」じゃないのか!

ファンとして、あなたのこの相撲っぷりを思い出す。

あと、これは行き過ぎだと思うが、大量塩まきからの。

照強に奮起を促す!

あなたの復活を祈念して↓↓↓

注目!十両5枚目コンビ!!

 新番付の十両5枚目は、東・大の里に西・獅司。

まずは学生横綱からプロ入り、幕下10枚目格から華々しくデビューした大の里。
プロ4場所目を迎える。初土俵前の期待・注目の大きさから、すぐに7戦全勝優勝をかっさらって、幕下を1場所で通過するのかなと思っていた。フタを開けたら6勝1敗、4勝3敗と2場所を要した。「大の里って(実力は)どうなのかな」「今後の出世街道は?」とひとりで勝手に思っていた。迎えた3場所目(新十両の場所で)ようやく本領発揮してきたと理解している。
初日から内容を伴う9連勝で度肝を抜かされ、千秋楽まで十両優勝争いを繰り広げて12勝3敗。敗れた3番だって積極的に前に出ていた。しかしまわしを引いてなかった為、そこを見事に突かれ逆転を許す結果になった(3番とも)
プロの水にまた少し慣れたか、今場所も先場所同様、圧倒的な差・レベルの違いを見せるような内容で(気が早いが)新入幕を掴み取ってほしいものだ。11月もざんばら髪で登場か。

西方・獅司も手堅く勝ち越しを続け、先場所から番付を3枚上げて5枚目に。
先場所15番を動画で振り返り見直したが、触れ込み通り(基本形は)左四つのようだ。左右どちらでも上手を取れば、勝利を引き寄せる確率が高くなる。立ち合いからの突っ張りも何番か見せており、相撲の幅が広がってきているか。母国の情勢は報じられている通り。本場所の歓声も上がっているが、実力だって上がっている。
ミニ把瑠都こと獅司 大(まさる) この九州場所では四股名の「獅」の字に込められた「百獣の王」になれるのか。

やっぱりコレだ↓↓↓